『性格って変えられるの?』でサブカル!

アドラーは死ぬ2日前まで性格は変えられるって言うけど、果たして本当に性格とやらは変えられるのだろうか。

 

 

最近は特に性格を変えたいと思うことが多い。

 

 

端的に言えば神経質であり、はたまた物事を無駄に考え込んだりしてしまう節がある。結局自分のことしか考えていないと言われてもおかしくないだろう。

 

 

それ故、行動力がない。考えてばかりで実践的なことは避ける。頭の中のシュミレーターが壊れる程に同じことを繰り返し考えている。

 

 

それに重なり、とりわけ自分の性格はメンタルによる不調を及ぼしやすいものでもある。

 

 

精神的に弱いと言われればそれまでだが、慎重深いとも言える。

 

 

どうも学生時代から沸き起こる性格の変化への希求は収まるどころか爆発しそうである。

 

では、どのように変わりたいのかと言われれば、端的に言えば『強くなりたい』という答えになる。

 

 

それは身心ともにということだ。自身の虚弱さには辟易する。

 

 

弱さを認めて、自身を肯定して生きていくのが正解だろうが、にしても自分は弱過ぎると感じることが多い。

 

 

僕はサッカーをやっていた時代があった。あの頃を思い返しても仕方ないのだが、少なくともあの頃は自身を弱いと感じたことはなかった。

 

 

ただ、ボールを追いかけることに夢中になれた少年時代は幸せなものである。

 

 

簡単な話だが何かに夢中になるということは、人に自信を持たせ、強くさせるのではないかと思う。

 

 

ボールに変わる何かが見つかれば、それはとても幸せなことだろう。

 

 

当時はそうでもなかったが、いつからか本をよく読むようになった。

 

 

それが原因かは分からないが、自分の外よりも内面に興味を持つようになってしまった気がする。

 

 

変に物事をよく考えるようになり、高尚ぶるようになった気もする。

 

 

とはいえ、たいした教養も持ち合わせていない馬鹿なのは変わりないのだ。馬鹿なりに知的ぶっているだけだろう。

 

 

馬鹿ならばもっと単純に大雑把に生きていければ気が楽だろうが、馬鹿のくせに考え込むからタチが悪い。

 

 

その繰り返しが精神的に良くない。最近は身体が思うように動かない。どうも人生が停滞している。

 

 

しかし、悲観してばかりではいられないのは事実。悲観はしているのだが、こうして書くことで現実を受け入れ、心を落ち着かせているのだ。

 

 

停滞を打破する解決策はいつだって行動である。

また、身心の不調を殺すのはいつだって『気にしない』ことである。

 

 

あるがままを受け入れ、全てを受容する。そして恐怖を感じたらあえて飛び込む。すると克服できて自信に繋がる。

 

 

その繰り返しによる成功体験が人を強くさせる。

 

 

簡単なのは何かスポーツでも始めてみることだ。

 

 

何か目標を見つけてもいい。

 

 

 

停滞を打破する解決策なんて考えればいくらでもある。

 

 

しかし、時には時間が流れるのを待つっていうのもありかもしれない。

 

 

 

 

 

ついてねえときはやっぱりあるだろ。