『有名になるということ』でサブカル!

昨日、近所のショッピングモールのステージに芸人が来ていた。

 

ステージは一階にあるが、二階の手摺にも人が隙間なく寄っかかっている。

 

その芸人はテレビに多く出演し、有名人と呼ぶのに顕色ない人物であった。

 

 

さして有名でもない人物であっても、ステージにあがり、何かを披露していたら人が一定数集まるだろう。

しかし、明らかに有名な芸能人の場合、集まる人の数が違う。

 

皆んな、一目見ようとステージに身体を向ける人の群れの間から演者を覗く。

 

 

僕もその中の一人であった。

 

 

僕はステージでネタを披露する芸人を基本的に真顔で見ながら、たまに口角を上げて反応していた。あまり気持ちの良い客ではないだろう。

 

 

僕は有名人という存在に何故、こんなに人が集まり注目するのかを漠然と考えていた。

 

結局は同じ人間なのだ。僕は子供の頃総理大臣はトイレなんかしないだろうと思っていた節があるが、それは違っていた。

 

芸人もモデルも総理大臣も皆んな人間であって、トイレをするのだ。風呂にも入るし歯も磨くだろう。

 

箪笥の角に小指をぶつけた経験もきっとあるだろう。

 

ステージの上にあがり、観客を湧かせる有名人も僕たちと同じ人間なのだ。

 

それなのに、何故か彼らはとてつもなく一般人(有名ではない人)とは違う何かを持っているように見える。

普通とは違くて、有名になるのが生まれた時から決まっていたに違いないんだと思わせる何かがあってと錯覚する。

 

 

けれど、そんなことはなくて、ステージの上にあがる人はステージの上にあがる為の道を選んで努力を重ねて観客を湧かせているのだ。

 

決して神に選ばれた人間というわけではないのである。

 

それでも、何故か僕たちは有名人に神秘性を感じてしまう節がある。

 

 

 

だから僕は期待していた。ステージの上に立つ有名人は明らかにそこらへんの人とは違う雰囲気を携えて、その力を発揮し圧倒してくるのだと。

 

 

けれど、別にそんなことはなかった。僕の感受性の低さや厭世的な思考が原因なのかは分からないが、微塵も圧倒されず神秘性を感じなかった。

 

その代わりに

 

 

「ああ、人間だ。あいつらは絶対にトイレをする。トイレばかりするぐらい人間だ」

 

 

と思った。

 

 

 

人間は有名になったって人間のままなんだということを改めて感じた。当然のことだけど。

 

 

もっと近くで握手でもしたら、また感じ方は違うのだろうか。

 

結局、ステージの上に立つ有名人を見ているのだから、感覚はテレビを見ているのに近い気がした。

 

ステージの前に透明なフィルターがある感じだ。

 

 

でもステージの上に立って、凄い数の人間に見つめられ、ネタを披露するという行為を完遂する人たちには感動した。

 

 

僕にはとてもじゃないけど出来ない。ステージの上に立った瞬間に頭が真っ白だ。吐血するかもしれない。

 

 

でも芸人だって初めからそれが出来たわけじゃないはずだ。何回も何回も練習を重ねて、気持ちをコントロールしてステージの上に立つのだ。それで観客を笑わせる。凄いなと思った。

 

 

 

だからこそ、有名人も僕らと変わらない「人間」だと思った。

 

 

むしろ、有名人の方が辛酸を舐めても這い上がり表に出ているから人間らしいのだろうか。

 

 

 

 

有名になるということは、人間らしさを追求した結果なのかもしれないと僕はステージを眺めながら思っていた。