『ポイ捨てした瞬間に心の中で絶交する』でサブカル!

別に環境問題がーとか言うつもりはなくて(地球が滅びるなら滅びればいいと思ってる節がある)、純粋にポイ捨てする人は嫌いだ。

 

 

〜夜〜

 

ぼく「夜の散歩は気持ち良いね。この季節は気温がちょうど良くて快適だよ」

 

友人「せやな。おっ自販機。缶コーヒー買うわ。待っててくれや」

 

ぼく「おん。待ってるお」

 

友人「ほい、お前の分やで。飲むやろ?」

 

ぼく「ありがとう!(優しいなあ。いいやつやなあ)」

 

缶コーヒーを飲みながら夜の道を歩く。

 

友人「さて、お前ん家でウイイレでもやるか!」

 

.........カラン。コロコロコロ....。

 

 

ぼく『うわあ。「ウイイレでもやるか!」の「やるか!」の勢いとともにポイ捨てしやがった。その勢いならポイ捨てしていいと思ってるんちゃう。こいつ嫌やわ』

 

友人「なんや。なに立ち止まってん」

 

ぼく「あっAmazonですごいエロいDVD頼んだんだ!それ見たいから今日は一人にしてくれないか!」

 

友人「それほんまか!ワイにも見してやあ!」

 

ぼく『なんやこいつ。ポイ捨てしたゴミ人間のくせに』

 

 

 

僕は隣を歩いてる友人がポイ捨てをした瞬間に『ああこいつは民度が低いな。可哀想に』と思ってしまうのである。

 

 

 

でも別にポイ捨て自体にはなんとも思わない。そんなに騒ぎ立てたり糾弾する価値もない。

 

ただポイ捨てという行為がとても醜いのだ。それを友人にやられると嫌いになる。

 

 

 

あと歩きタバコをするジジイはゴミ人間だと思っている。

そいつがいくら会社で偉いポストにいようが、ゴミ人間だ。

 

 

そんな感じに正義感を心の中に持っている反面、最近一周回って別にポイ捨てしようが歩きタバコしてる奴がいようが一々腹を立てるのも馬鹿らしいとも思うようになった。

 

 

何故、ポイ捨てや歩きタバコをする人が嫌なのかを突き詰めると自身の中にある正義感に行き着く。

 

 

そして更にその正義感とは、正しいものかと考えると別にそういうわけでもない。

 

 

結局マジョリティがポイ捨てや歩きタバコをしないから、少数派の奴らに腹が立つだけかもしれない。

 

 

つまり、ポイ捨てや歩きタバコが常習化した社会だとすれば、僕もタバコは吸わないから歩きタバコはしないけど、ポイ捨てするだろう。

 

 

自分の正義感なんてものは案外、社会に沿って作られただけの、コントロールされたものなのかもしれない。

 

 

所詮、人間の正義感なんてものは直感的なものであり、その源泉を論理的に説明出来る人間なんているのだろうか。

 

 

けれど、それでも

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうやつには、漫画を貸すとき一番盛り上がる巻だけ貸さないことにしよう思う。