スマートフォンでサブカル!

電車に揺られている。ふと顔を上げて控えめに周りを伺うと、皆一様にスマートフォンを操作している。




見慣れた光景。数年前まではそれがガラケーだっただけで、基本的に皆電車の中では端末をいじって時間を潰している。




2016年。スマートフォンもしっかり普及した現代では、端末であらゆることが出来るようになった。




HuluやNetflixで映画を観ることも、Apple MusicやLINEMUSICでダウンロードした音楽をランダム再生して楽しむことも可能。



はたまたSNSで友人の近況を手軽に把握し、自分の近況も手軽に友人に教えることが出来る。ほんの1分、片手間の操作で友人と繋がる。





僕たちは四角い画面を見つめているという点では共通しているが、やっていることはバラバラである。




不意に覗いてしまった40代であろう女性は、2ちゃんねるの軽薄な記事がまとめられたものを見ていた。




下世話な記事だって誰しも気軽に見ている。むしろ下世話な記事の方が、小難しい政治や経済の記事より関心が向いてしまうのが大半だ。




例えばグノシーやスマートニュースのアプリを入れている人はエンタメやコラムばかりに目がいくことが多いのではないだろうか。





僕たちはずっと電車に乗っているわけではない。電車から降りて学校に行き、会社に行き、帰路につく人は家に向かって歩き出す。




例えば家に帰った学生は手を洗った後、自室に行くかリビングのソファにでも腰をかけるだろう。



テレビをつけるかもしれない。けれど、さっき電車の中で必死に見ていた四角い画面をまた覗き始めるのも時間の問題である。





僕たちはここ数年の技術の進化により、生活の行動様式の大半を四角い画面を観ることに奪われてしまった。



それは当然であった。なにせため息が出るほどに便利だからだ。




身体の不調を感じたら、Googleで症状を検索すれば何かしらの結果が得られる。




寝る前に何を飲むべきかということさえも検索すれば一発で分かる。



昔の人間が頑張って模索してきた過程をすっ飛ばして、解明してくれた結果のみを閲覧出来る。



そして友人にわけ知り顔で寝る前にはこれを飲むといいよだなんて話すわけだ。まるで自分が研究して身につけた知識のように。





しかし四角い画面に支配されようと、僕たちは便利さを享受しているのだ。



僕たちはお金を払って四角い画面を見る代わりに、多大なる情報と娯楽を提供してもらっている。



これを僕は「ITの封建制度」と称して論文を書き、有識者から高い評価を得て今こうしてテキストを記述している。




私はITの世界で有名になり過ぎた。





今後は現代のスマートフォンへの依存に警鐘を鳴らしつつも、より便利な社会に向けて研究を続けていきたいと思っている。









結局何が言いたいのかといえば、


















電車の中で本を読んでる女の子は素敵だということだ。