それぞれの街でサブカル!

先日、友人と東京の3つの街をあてもなくぶらついた。


渋谷のハチ公前に昼間に集合したのだ。

ハチ公前といえば、待ち合わせ場所の定番である。最早定番過ぎて待ち合わせ場所に適してないんじゃないかと感じるぐらいだ。




無事集合して、いわゆるスクランブル交差点を人にぶつからないように器用に渡る。

そこで感じるのは、




やはり、この街はカオスだ。ということである。




街にはその街の特徴に合った人が、街に溶け込む服装をして歩いているのが常である。




しかし、渋谷には多種多様な、上手くカテゴライズ出来ない人たちが入り乱れている。




そんな人たちがスクランブル交差点で入り乱れているんだ。やはり、ここはカオスであると思う。




様々な系統の人間を人種に置き換えるならば、渋谷は日本のアメリカのようである。



この例えはおそらく破綻してるだろう。



この街を歩いていると、やはりどうも落ち着かない。



いわゆるギャルたちなら渋谷に来て、ここがホームだと感じられるのだろうか。




渋谷は早々に切り上げて、東横線で代官山に行った。








この街の様相は渋谷のそれとはまるで違う。



歩いている人たちは、悪く言えば気取っていて、良く言えばとても素敵だ。




前から主婦と思しき、まだ30代だろう二人組がベビーカーを引いて僕たちの横を通り過ぎた。





『勝ち組だな。きっと夫は某大手メーカーに勤めてるかもしれない』



僕たちはそんなことを話していた。




実際の経済状況は知らないけれども、代官山でベビーカーを引いているんだから、貧しくはないだろう。


勝手に僕はそう感じていた。




彼女たちだけではない。若者も多くいるこの街では、ハイファッションな人とよくすれ違うのだ。



『洗練された人』というワードがぴったりな人ばかりだ。




しかし、彼らが金持ちとは限らない。まだ若い故にきっと僕たちのように少しでもお洒落な格好を意識して、遊びに来ているだけなのかもしれない。




それでも代官山にいれば、それだけでセンスが良く映る。




歩いてれば、探さなくても綺麗なカフェを見つけることが出来る。



外にあるテーブル席に、いわゆるサードウェーブ系(上質なものを好み、靴はニューバランスをよく履く。ガチャガチャしてなくてお洒落。)な男が一人でコーヒーを飲んでいた。



それを見た瞬間に思ったことは、






『典型的過ぎて恥ずかしい...!』





そう典型的過ぎるのだ。ベタすぎるじゃないか。お洒落な格好をして、お洒落な街のお洒落なカフェでコーヒーを飲むなんて。



いかにも代官山らしすぎて引いてしまったのだ。



彼は全力で全身をもって代官山をまとっていたのだ。



似合いすぎると途端にチープに見えてしまうことを知った。




この街に住めるのなら、それはもう誇らしいことかもしれない。けれど、あまり住みたいとは思わなかった。




落ち着かないよ。きっとここで暮らしていたら、お洒落な雰囲気で自意識が殺されてしまう気がしたのだ。






渋谷に戻り、井の頭線で下北沢へ。






ここは個人的に好きな街である。とはいえ、ここ最近ずっと来ていなかったので久しぶりだった。





来るたびに興味がそそられる店を新しく見つけられる。テキトーに歩いていても、無計画でも楽しめるのだ。




雑貨屋、古着屋、カフェがたくさんあって、出口を変えれば下町故の繁華街に出れる。



この街に来て思うのは、





『丁度いい』






という気持ちである。丁度いいのだ。この街には学生、駆け出しのミュージシャンや劇団員、下積みの芸人、はたまたフリーターなどが多く暮らしている。




皆んな未熟でも許されるのだ。



いわゆるレールの上を歩くわけではなく、思いっきり外れて、何者かになろうと必死に生きているのだ。


僕はこの街を勝手にそう解釈して悦に浸っている。



代官山みたいに気取らなくても歩ける。



渋谷みたいにせかせかしていなくていい。



悪く言えばぬるま湯だが、良く言えば何だろうか。





ここは渋谷ほど焦燥を駆られず、代官山ほど自意識に殺されない場所である。





3つの街を1日で肌に感じたが、違いが目に見えて分かり非常に面白い。



明らかに違う雰囲気の街を1日で乗り換えて回ってみるのはおすすめだ。






いつもの電車で帰路につく。



最寄駅を降りて感じるのは、






















『なんもねえけど一番落ち着くわ』



















僕はシティボーイには程遠い。